18201511月

いじめの周辺知識 30/30

自分の理想の人間像をしっかりさせること

私達はいじめの心ももっているが思いやりの心も同時に持っている。

どちらかしかない人間はいない。

攻撃欲求や親和欲求の分量、割合は人によって全く違う。

言うまでもないことだが人は体型、顔、身体能力、学習能力など全く違う。

見た目の違いはわかりやすいが問題なのは中身の違いを意識することだ。

育った環境も違えば親の考え方だって違う。双子だって同じ人間ではない。

学校では同じ教科書で同じ事を教えて同じくらいの理解力を求められるが、

それは義務教育だからそうすることが必要なのであってそんなことに意味はない。

同じであろうとすればするほど不自然で心が苦しくなるだけだ。

心の悲鳴はストレスを発生させるだろう。

人と違うのが当たり前なのだから、足並みをそろえることにエネルギーを費やすのではなく、

自分らしさを発見して自分らしく生きることにエネルギーを費やす方が大事なのではないか。

そして、自分の得意分野は何でそれをどう活かして

将来はどうなりたいのかといった未来の自分を描くことと、

価値観をしっかり持ってどんな人間になりたいかを明確にすることだ。

それをしっかりすることが出来れば、

それに関係ない事柄に時間を費やすのはもったいないと感じるようになるだろう。

自分の理想の人間像はどんなものだって良い。

漫画の主人公でもドラマのヒーロー、ヒロインでも、

自分の両親など実在する人間でも、ミュージシャンでも、プロの運動選手でも。

そして人生のあらゆる場面で自分の憧れの人物ならこんなときどうするかと考える。

いじめる時、いじめられる時、自分が尊敬するあの人ならどうするだろうと考えながら

自分の思考や行動を欲求に流されないように保つ努力をする。

人を傷つけて面白がる自分がいた時、自分はそれでいいのか、

その生き方で恥ずかしくないのかと自問自答してみることだ。

また、いじめや仲間はずれにあったと感じた時、

自分の居場所はそこだけではないこと、

自分を愛している人の存在に気づくことができるだろうか。

仮に批判されてもそれは否定されているわけではない。

自意識過剰になり過ぎてしまうと人のちょっとした意見すら

自己否定されたと感じてしまうことは往々にしてあるものだ。

そんな時は決めつけず、冷静に相手だけでなく自分を振り返る余裕を持つことが大切だろう。

そして相手の目的は自分を傷つけることだと悟った時は無理して相手と同じ世界にいることはない。

勇気を持ってその世界から去らなくてはならない。

また、相手の目的が自分のことを思っての厳しい言葉や態度であった場合は素直に耳を傾けるべきだろう。

どちらであるかの判断は自分の理解力を上げなくてはならない。

勇気を持って意見を戦わせることができなければ自分や相手を理解することはできない。

言い合いや喧嘩だって心の成長のために必要だ。

それを喧嘩はいけない、

仲良くしなければならないなどと自分が傷つかない言いわけの中で

自分を守ることばかりに躍起になってしまう。

別に自分と価値観の合わない人間に無理に好かれたり良く思われたりする努力など要らない。

嫌いな人から自分がどう思われようが気にしても仕様がない。

だからといって「私はあなたが嫌いです」と宣言する必要もない。

自分の世界を守り相手の世界を尊重する。

下手に面白半分で関わったりすると領域を侵された相手からしっぺ返しを食らうことだってある。

数多くの人と仲良くするということは

距離感と相手の世界を尊重して関係を続けるということであって、

単純に密な関係になるということではない。それには能力が必要だ。

価値観が近かったりウマがあったり、刺激になったり、

自分に対して意欲や楽しさをもたらせてくれる人とつきあえばいい。

自分を攻撃して害を及ぼすような人間のそばにいることはない。

価値観をしっかり持つこと、きちんと自分の意見とNOが言える事、

価値観が違っても相手の価値観を否定せずに尊重すること、

これを意識して人間関係を考えることが大事なのではないか。

人との違いを気にしすぎず、逆に人は皆違うのだから自分と合わない人間だっていて当たり前、

そう思えるおおらかさが必要だろう。

今の時代は何でも答えがすぐ手に入ってしまうせいか、

大人も子供も物事にじっくり取り組むことが苦手だ。すぐ知りたい、

待つのは嫌だと答えを得る事を急ぎすぎる。

ちょっと無視されたくらいで「いじめられた」とあまりにも答えを早く出しすぎることは良いことではない。

物事を瞬時に判断することとプロセスを飛ばして結果を早く出す事は全く別物だ。

価値観が多様ゆえに力技で自分の思う通りに持っていこうとする人間が多すぎる。

自分の思うとおりにならないと気がすまない。

我慢が出来ずわがままと自由を履き違えている。

そして思いやりの欠如。

人が人を操作してはいけないのにいつしか、ゲーム感覚で人が人を平気で操作している。

それも私達人間の持つ欲求なのだろうが、そこで終わってしまっては悲しすぎるのではないか。

「いじめ」はなくならない。

人をいじめ、陥れる人間はどこにでもいる。

そうであればそんな人間を見極め自ら近づかない判断力を持つ努力をしてはどうか。

勇気を持ち、それぞれ自分の価値観をしっかりさせて自分の世界で生きる、

感情や欲望に振り回されず理想の人間像に近付いた言動を取ろうと努力することで

いじめ問題の解決に近付くことが出来るのではないだろうか。

他人の世界で生きてはいけない。

自分の存在価値を他人に口出しさせてはいけない。

自分の世界で生きることが自分を守ることだと思う。

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