9201511月

いじめの周辺知識 29/30

それでも子供が深刻ないじめの被害にあってしまったら

まず現実を受け止め親が腹をくくる事だ。

自分の子供を守るのは自分しかいないという強い意志を明確にする。

世界中の人間を皆敵に回したとしてもあなたを守るから安心しなさいと子供に伝えることだ。

誰かに何とかしてもらおうなどとはこれっぽっちも思ってはいけない。

教育委員会や学校が何もしてくれないと文科省を責めてもどうにもならない。

その理由は今まで述べたとおりである。

文科省は政策、施策を事業に落とし込むのが仕事であって現場への強制力はない。

いじめ問題の具体的対策は現場で直接子供たちに関わる担任や校長に委ねられる。

そこがどうにもならないのであればその上の機関に訴えたところでどうにもならないし、

そんなことは教育行政に限ったことではない。

そこで権利を主張したところで何も変わらない事を私達はさんざん学習している。

それが良い悪いではなくそういうものだと考えた方が前に進むことができるだろう。

いじめ問題は当事者が乗り越えるしかない。

周りはサポートはできても当事者に変わって問題を解決することはできない。

それよりも子供が極限まで追い込まれている事を親がキャッチできないことこそ問題だろう。

深刻ないじめ被害にあっている子供がそのことを親に告げられない心理は

心配をかけたくないといった表面上の理由もあるが、

潜在意識には「親に言っても無駄だろう、何もしてくれないに違いない、自分の味方になってくれない」との

あきらめと絶望がある。

緊急事態に助けてもらえるという安心感を持てない、親子の信頼関係が築けていない。

だから死を選ぼうとする。

親は親でいくら仕事が忙しいからといって子供の変化を見逃すということは考えられない。

親は愛する子供を養うために仕事をしているのではないか。

それなのに子供を失ってから「気がつかなかった」というのは親として怠慢である。

おかしい、変だということはなんとなく分かっていてもそれを信じたくない、もしくは子供への興味関心が薄い。

それよりも自分のことの方が大事だったりする。

また、自分の子供がいじめの被害にあっている事を認めたくないのかもしれない。

しかし、そんな偏狭なプライドにこだわっているうちに子供はどんどん孤立して追いつめられてしまう。

もちろん様々なケースがあるので決めつけることはできないが、

子供を愛しているのであればどんなことが起きても

現実を受け止めなければ子供を救うことはできない。

傷だらけの子供の前で親があたふたと動揺している姿を見せてしまっては

子供は不安になってしまうだろう。

何が起きるかわからないと覚悟して常日頃から

「私はあなたをどんなことがあっても守るからね」と

安心感を与えておかなくては子供は親にSOSを出すことをあきらめてしまうだろう。

そして大人は「誰とでも仲良くしなさい」などと自分も出来ない事を言わないことだ。

そんなことを言うから素直で純粋な子供ほど凶暴な別世界の人間の餌食になってしまう。

言う事を聞けばいじめられないのではなく、

言う事を聞くからいじめのターゲットになってしまうのだ。

子供であっても共感できない価値観の持ち主とは無理に付き合うことはないと思う。

それは別に喧嘩をするとか無視をするということではなく、

適度な距離感で相手の世界を尊重しつつその世界には足を踏み入れないということだ。

それでも人間関係の事故はある。

しかしそれは子供が人間というものを学習するためには必要である。

そして子供は不条理な人間関係から人間というものを学習し社会に出ていく。

それが学校のもう一つの役割である。

それが正常に機能するためには学校では子供は守られなければならない。

そこが保障されているかを親は判断しなければならないのだ。

もし、子供を守ってくれない学校であれば無理して学校に通わせる事はない。

子供が大丈夫と言っても大丈夫でなかった事は数多くある。

どうするかは親が状況をよく見て判断しなくてはならない。

そしてその行動についての責任を引き受ける。

子供を守るために親の覚悟が試されるのだ。

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