1820158月

いじめの周辺知識 24/30

心が育っていないと自分さえよければいいという価値観になる

差別の心には「自分は上だ」といった優越感があり支配欲がある。

その心は本能でありどんな人にも多かれ少なかれ備わっているものである。

(しかしすべての人がいじめを行うわけではない。その違いはあとで述べる)

「いじめ」の心には何らかの欲求不満がそれに加わる。

その欲求不満の感情があふれ出して病的あるいは犯罪的な攻撃欲求となりターゲットに向けられるのだ。

いじめは1回だけではない。ずっとずっと繰り返される。

なぜなら1回で終わったら面白くないからだ。

「いじめ」はいじめる側にとって娯楽だ。

他者の痛みは自分には関係ない。

面白い事は何回もやり続ける。

そしてストーカーのように付きまとい、

自分がターゲットのすべてを支配している事を思い知らせ絶望させる。

それが快感であり欲求不満解消となる。しかしそれは一時的なものだ。

「いじめ」は人間の本能に関わるという意味ではギャンブルや買い物、

アルコール依存と同じ様なものかもしれない。

どちらも自分自身で完結せず周りを巻き込む。

「いじめ」は見ず知らずの人間をターゲットにしない。

自分達が良く知ってる人、同級生やサークルやコミュニティで知り合った人、

時には家族を支配し、自分が上であることを思い知らせ、苦しむ姿を楽しむのだ。

よく「いじめられる方にも問題がある」という人もいる。

しかしそれは違う。

人は十人十色である以上みな違って当たり前である。

いじめられる方の問題とは何か?

容姿、身だしなみ、考え方やファッション、生き方なのだろうか?

それが自分と違うことでなにか問題はあるのだろうか?

単にその違いが自分の快不快や好みに関わるだけのことではないのか。

仮に社会的なルールに抵触するような事であったら、あえてそこに踏み込む必要はない。

関わらなければ良いのだ。

「いじめ」を行う人間は「いじめ」のターゲットに自らの意思で関わってゆく。

だから、いじめられる子どもが悪いわけではないのだ。

いじめる子どもが自分の潜在的欲求不満の解消のターゲットとしていじめやすい子を選び、

勝手にその子の世界にずかずかと入ってきているだけだ。

自分の支配欲求や攻撃欲求を満たしてくれる相手をいじめのターゲットにする。

つまり、自分より弱い子供、自分が圧倒的優位に立てるような相手にいじめを行う。

これは子供だけの話ではない。

大人だって同じである。

心が健全な成長を遂げていないからそのような心理が生まれるのだろう。

相手を思いやる心が育っていないから相手を尊重するという意味が分からない。

同級生や自分の友達を一人の人間として見ることができない。

「いじめ」をやめさせたいのなら心の成長をやり直さなくてはならない。

誰でも子供の時にアリなどの小さな命を興味本位で奪う。

動かなくなる虫や小動物を見て命は奪ったら戻ってこない事を学習する。

動物を飼って育て一緒に遊ぶ。

そして動物の死で学習する。

もっとかわいがればよかった、世話すればよかった、または十分に命を全うさせてあげられたなど。

植物を育て水をやらなくてもやりすぎても枯れてしまう事を学ぶ。

綺麗な花が咲いたら感動する。

動植物の心を理解しようと想像力を膨らませて小さな命を大切にする。

自然を大切にする。

物を大切に扱う。

このような事を1からやり直すしかない。

健全な心はそのような過程からしか育たない。

しかし、親にその価値観が無ければ無理だ。

だからこそ子供は今いじめを行なっているし、親もいじめられる方が悪いのだと心の中で思っている。

親がそうしているから子供もそうするだけなのだ。

誤解を恐れずに言うならばいじめはそこの家の教育方針だということだ。

いじめをやめさせるには親も一緒になって心の育て直しを行なうしかない。

しかし、そんな面倒くさく気の遠くなることは今の親はしないだろう。

そもそも自分たちの価値観が「いじめ」を引き起こしているなどとは全く思っていないし興味もなければ関心もない。

そんな大人になってしまったら、よほどのことがない限り、

外部の力で価値観を変えさせるというのは不可能だろう。

そしてその「価値観」で生きることも一つの生き方の自由でもある。

心を大切にする価値観の人間、そうではない人間、いろいろな人間が一つの学校で時を過ごす。

これは大人社会の縮図そのものであり十人十色とはそういうことだと思う。

だとしたら今現在のシステムではらちが明かない。

だからといっていじめ問題に取り組まないわけにはいかない。

究極のところ、「いじめ」を行う児童生徒こそが救われなくてはならない存在なのではないだろうか。

手間も時間もかかることだが、

いじめの本質を理解した大人がいじめを行う子の心を育てなおすために

全寮制の施設や学校などで新しい価値観を持たせてあげることができたとしたら、

その子の攻撃欲求は健全な方向に向いて「いじめ」に興味を示さなくなるのではないか。

非常に効率は悪いが心の教育は一朝一夕にできるものではない。

一人づつでも確実に自分の持っている思いやりの心に気付かせる教育をしていくほうが良い。

教育行政は、政策ではなく事業の具体案としてそのような環境を整備するほうがいいのではないか。

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